水族館へ行けば、優れたアイデアが浮かんでくると言っていた宮田さんだったけれど。 もしかして騙されたのかもしれないと感じたのは、その翌日だった。 お昼過ぎに現地集合という待ち合わせで水族館に赴くと、入り口のところに立っている宮田さんの姿が見えた。 いつもと違って、今日の宮田さんはカジュアルな私服だ。「朝日奈さん、早く早くー」 水族館の前で、うれしそうな笑みをたたえて手招きされると、小さい子どもに急かされているような気分になる。「お疲れ様です」 「十三時半からイルカのショーが始まるんだよ。だから急がなきゃ。って……朝日奈さんはなんでスーツ姿なの?!」 私だって待ち合わせの時間よりもずいぶん早く来ているというのに、いきなり急かされる意味がわからない。 なぜスーツなのかは、仕事だからに決まっている。「スーツじゃいけませんか? これも一応、視察なので仕事の一環ですし。というか、午前中は普通に会社で仕事をしていましたので、自然とスーツになります」 淡々とそう述べると、宮田さんが小さくプっと噴出して笑った。 笑うとは失礼だ。おかしなことはなにも言っていないと思うけれど。「とにかく行こう。イルカ、イルカ!」 「わっ!」 いきなり私の手を引いて、宮田さんが小走りに走り出したものだから驚いた。 繋がれた手に私の神経が一気に集中する。 子どもっぽいことを言わず、突飛な行動をしなければ、普通にカッコイイのにな……なんて思うと変に意識してしまいそうになる。「今度は私服で来てよ」 「あの、今度って?」 今度、私が事務所を訪れたとき? それとも今度、今日と同じように外で会うとき? いやいや、どちらもおかしい。 どちらも仕事なのだから、私服を着ていく意味がわからない。 というか……本当に読めない人だ。 だって今もイルカが跳ねるのを見て、キャッキャと喜んでいる。「朝日奈さん、サメってすっごくカッコいいんだね!」 「そうですね」 「あ! あそこにウミガメもいるよ! 朝日奈さんって、ちょっとウミガメに似てない?」 「あの、褒められていないと思うんですけど!」 イルカのショーを見終わった後も、ずっとこんな調子でテンションが高い。 あちこち引っ張りまわされ、精神的にも肉体的にも私に疲れが押し寄せる。「怒った? 冗談だ
「いっぱい写真撮ったよ。デザインの参考になるかな」 そう言って、スマホの画面を私に見せ付けてくるけれど。「ウミガメ……多いですね」 他の生き物の写真も撮っていたけれど、ウミガメの写真がやたらと多い。 そんなにウミガメを気に入ったの? 「え?! いつのまに撮ったんですか?……私が写ってる」 スマホをスライドさせると、次に出てきたのは水槽を見ている私の写真。ウミガメとの2ショットだ。「ほら……大きさの比較のために、朝日奈さんも入れといた」 お、大きさの比較? 私とウミガメの比較をして、この人はどうしたいのだろう。 あぁ、やっぱり全体的に意味不明だ。 進路を先に進むと、180度のトンネル水槽の空間へ。 そこはわりと広くて、全然圧迫感のない大きさだった。 濃いブルーの照明が、幻想的な世界を造り出している。 大きな水槽の中を悠々と泳ぐ魚たちがいる。 見上げると、大きなマンタが私の真上を泳いで行った。「こういう感じなんですけどね。深い深いブルーの色合いとか」「へぇ、なるほど」 ポツリと呟いた私の言葉は、主語なんてなかったのに。 宮田さんは水槽を見つめながらも合いの手を返してきた。「朝日奈さんの頭の中のイメージは、こんな感じだったんだ」 「はい」と返事をしようと思ったその時、背中に気配を感じた。 私はガラスの壁の向こうを泳ぐ魚たちを見ていたのだけれど。 背後から宮田さん、ガラスに手を付く形で私を挟んで覆いかぶさっている。「み、宮田さん」 瞬時に身体が硬直して、振り向くこともままならなかったから声で抗議した。 だって、私はガラスと宮田さんに挟まれているからすごい密着度だ。 だけど彼は「綺麗だねー」などとつぶやくだけで、その体勢はしばらく崩してくれなかった。 サラリとこんなことをやってのけるなんて、この男……本当は女たらしだったりして。◇◇◇ 例の水族館視察から十日が経った。 一昨日もアトリエ部屋に様子をうかがいに行ったけれど、宮田さんはいつもの調子で呑気に構えていた。 ……デザインは進んでいるのだろうか。それだけが気がかりだ。「緋雪、下にお客さんが来てるって」 会社で黙々と仕事をしているところに、受話器を持った麗子さんからそう声をかけられた。 誰かとアポイントなんてあったかなと、すぐ
「ちょっと私、下に行ってきます」 机の上に広げていた書類を失くさないように大慌てでバインダーに放り込んで準備をする。「朝日奈、宮田さんって誰だ?」 事務所を駆け出して行きそうな私の後ろから、袴田部長の声がした。「あの……最上梨子さんの、マネージャーをされてる方です」 振り返り、部長に愛想笑いしようとしたが顔が引きつった。今は部長の目を見ちゃダメだ。「最上梨子の?……じゃあ、俺も挨拶しとくか」 部長のその言葉で、引きつった顔から冷や汗が出そうになる。「いえいえ、大丈夫です! ほんの、端的な話だけかもしれませんから私が行ってきます!」 袴田部長は私の上司だ。 だから部下がお世話になってる人に挨拶しようとするのは、当たり前の話なのだけれど。 なぜか私はふたりを会わせてはいけない気がした。 だって、なにかボロが出そうで怖い。「おい!」と後ろから部長の声がしたけれど、私はそれを振り切って廊下を走った。 こんなにやましい気持ちになるのはやはり……例の秘密を抱えているから ――。 エレベーターを降りて一階のロビーへと到着すると、宮田さんが接客用のテーブルセットの椅子に腰を下ろして出されたコーヒーを悠長に飲んでいた。「宮田さん、どうしたんですか?!」 私の声に顔を上げて、にこりと微笑む。 今日の宮田さんはいつもと違って、パリッとしたスーツ姿だ。「ちょっとね、朝日奈さんに会いたくなって」 ……中身はいつもと変わらない。「冗談はやめてください」 「ははは。怒ってる。怖いなぁ」 ……怖いなんて、微塵も思ってないくせに。「頭の中が煮詰まりそうだったからさ、見学にこようと思って」 「え? ここにですか?」 「うん、チャペルとか披露宴会場とか衣裳部屋とか。そういえば見てなかったもんね」 「そうですね」 「見学するなら、朝日奈さんと一緒に回るべきでしょ?」 見ても参考になるかどうか、正直わからないけれど。 本人が見たいと言うのだから断る理由などない。 だいたい、なにが元でインスピレーションが湧くのかわからないのだから。この人は、特に。「見学できる?」 「はい。今日は平日ですので、少しだったら大丈夫かと」 「そ。じゃ、行こう!」 「というか、事前に電話くらいしてください。いきなり来られたらビックリするじゃないです
「森のイメージのやつさ、場所はここでもいいんじゃない?」 「え?」 「せっかくこんなに綺麗な庭があるんだから。朝日奈さんのイメージした“木々があふれる森の中”をここに造るんだよ」 そうか、それもありだよね。 庭に造ってしまう構想は私の頭にはなかった。 それが本当にできるかどうかはわからないけど。 ……本物の木を植えていくのは無理があるし。 それでも、宮田さんと一緒に見てまわってイメージが湧いたのは私のほうだ。「ガーデンプランナーさんに相談してみます」 そう言うと、宮田さんは笑って大きく太陽に向かって伸びをした。「朝日奈!」 そんな私たちの背後から声がして、振り返ると袴田部長がこちらに歩み寄ってきていた。「ぶ、部長!」 動揺して、思わず部長と宮田さんの顔を交互に見てしまう。「すみません、ご挨拶が遅れました。袴田と申します。いつも朝日奈がお世話になっております」 宮田さんの前にきちんと姿勢よく立って、部長がいつものようにさりげなく名刺を差し出す。「上司の方にもご足労をいただきまして申し訳ありません。わたくし、最上梨子のマネージャーをしております宮田と申します。いつも朝日奈さんには最上がお世話になってます」 宮田さんのスイッチが見事に切り替わった。 声質までいつもより低音になっている。 自然とこんな声と口調になれるのだから、どちらの宮田さんが本当の宮田さんなのか、わからなくなってくる。 そんなことを思いながら、二人が名刺交換するのをただぼうっと見つめていた。「今日は……最上さんは?」 一緒に来ていると思ったのか、部長が不思議そうに最上梨子の姿を何気なく探している。「今日は私が最上の代理で見学に来ました。最上は……わがままなところがありまして、外に出ることを嫌いますので」 わがままなのは、あなたです。「そうでしたか。最上さんが、ご自分の目で見てみたいとご要望されたのかと思ったんですが。私の勘違いですね」 だいたい部長が、こんなところをたまたまフラフラと歩いているわけがない。 受付の誰かに、私たちが館内を見て回ってることを聞いたのだろう。 ……最上梨子も来ているかも、と考えたのかもしれない。 上司として挨拶や話をしなくてはと思ったのか、はたまた単純に最上梨子の容姿を見てみたいと思ったのか、理由は定
「朝日奈ー、ちょっと来い」 あれから見学を終えて帰っていく宮田さんをロビーでお見送りした。 事務所に戻ってくると、早速袴田部長からの呼び出しがかかる。 なにを言われるのだろう、いや……なにを問いただされるのだろう、と背中に緊張が走った。 宮田さんのことで部長が何か怪しいと思う部分があったんじゃないだろうか。 まさか、――― 秘密のことを見破られた?「あっちで」と、指し示されたのはミーティングルームだった。 「朝日奈、お前……大丈夫か?」「……え? なにがですか?」 怪訝な表情の部長を前に、私は冷や汗をかきながら動揺した。 今の自分は絶対に目が泳いでいる。 だって何について聞かれているのか、抽象的過ぎてわからないから余計に怖い。「さっきの、宮田さんだよ。最上梨子も変わり者だって噂だが、マネージャーのあの人も変わってそうだな」 ええ、同一人物ですので。「あの人さ……」 「はい」 「もしかして、お前に気があるんじゃないのか?」 「は?!」 部長の言葉が突飛すぎて、意味がわからない。 なにを言ってるんですか、という意味を込めて瞬時に驚きの声をあげた。「部長、わけのわからないことを言わないでくださいよ。なにを根拠にそんなことを……」 「俺に対して牽制するような視線を向けてきた。まるで敵視するみたいに」 「え?!」 私もあの場にいたけれど、どの段階で宮田さんがそんな視線になったのかまったくわからない。 私にはちゃんと温和なマネージャーキャラを演じていたように見えていた。「部長の勘違いじゃないですか? だいたいどうして部長を敵視するんですか」 「俺が結婚してるか尋ねてきただろ? あのときにそう感じた。俺とお前の関係を気にしたんだろうな」 たしかにあの質問は突飛だった。 話の流れでとかそういうことではなく、いきなり宮田さんが振った話題だったけれど。 だからって、それだけで判断するのはちょっと乱暴だ。「私が部長となんて、ありえませんよ!」 「お前……それはいくらなんでも俺に失礼だろう」 「すみません」 笑いながら謝ると、部長も噴出して笑った。「俺もお前が誰と付き合おうが、恋愛事情なんて知ったこっちゃないが。仕事は仕事だ。公私混同して滅茶苦茶にするなよ? それに、あの宮田さんにもしもしつこく迫られたら
「……疲れた」 自然と独り言が口からついて出る。 この日の私は提携している照明会社への訪問、社内会議、報告書の作成など、とにかく目まぐるしく過ごしていた。 やっと長い一日の仕事を終えようとするときには、時計はすでに20時をまわっていた。 会社を出て、駅へと向かうその道すがら、楽しそうに大きな声で会話する酔っ払ったサラリーマンの中年男性数名とすれ違う。 ……いいなぁ、楽しそうで。 だいたい、こんなに忙しくしていてはストレスが溜まるばかりで、恋をしている暇もない。 とはいえ、出会い自体もないのだけれど。 たまには私も友達を誘って飲みに行き、せめて日ごろの鬱憤だけでも晴らさなきゃやってられないな、などと考えていると、バッグの中でけたたましくスマホが鳴った。 着信画面の表示を見て、そのまま『拒否』のボタンを押したい衝動にかられるが……。 仕事の電話なのでそうもいかない。「もしもし、朝日奈です」 疲れた身体に鞭を打ち、営業用のすました声で対応する。『あ、朝日奈さん? 今からこっち来て』「来れる?」ではなくて、「来て」というあたりが、相変わらず有無を言わせないわがままっ子ぶりだなと思う。 わがままというより、王様みたいだ。 最近のストレスの元は、やはりこの人じゃないだろうか。「い、今からですか?」 『そう。もしかしてもうお風呂入ってスッピンになっちゃったから、外に出たくないとか?』 「いえ。今仕事が終わって帰ってる途中ですので」 『そっか。じゃあ、ちょうど良かったね』 なにがちょうどいいのか教えてもらいたい。 こっちは長い長い一日が終わって、一刻も早く家路につきたいというのに。 それに、こんな時間に呼びつけて悪びれている様子は一切ないようだった。 『こんな時間まで仕事なんて大変だね』くらいのことは言えないのだろうか。 少しは労わったり、気を遣ってもらいたい。 ……あぁ、駄目。 きっと、この人にそんな気の利いたことを望んではいけないのだ。「えっと……明日ではダメなんでしょうか」 おそるおそる、極力失礼のない言い方でそう申し出てみた。 いいよと言うとは思えないけれど、一か八かで。『ダメダメ』 軽い口調で即答され、私はスマホを手にしたままうな垂れる。『だってね、めちゃくちゃ良いアイデアが浮か
でも、彼の言う“めちゃくちゃ良いアイデア”というのは、どんなものなのか気になる。 これまで、まったくイメージがわかないと言っていたのに。 彼のデザイナーとしての閃きは天才的だから、なにか少しでも取っ掛かりが見つかると、常人では思いつかないアイデアが降臨してくるのかもしれない。 そうだとしたら、時間がどうの、疲れがどうの、などと私の都合を言っていられない気がした。「わかりました。今からすぐ伺います」 私がそう言うと、『待ってるねー』という明るいトーンの声が聞こえて、そのままプツリと電話は切れた。 駅に着いて改札を抜け、構内のトイレに駆け込んだ。 鏡で自分の顔を確認すると、案の定ひどい状態だった。 このあとはもう帰宅するだけだと思っていたから、無防備に化粧が崩れてドロドロだ。 浮き上がった脂を取って、上からパフで粉を施す。リップも綺麗に塗りなおした。 すでに疲れきった一日の終わりに、一番疲れる人のところへ今から向かうのだ。 エネルギーは残っているだろうか。 心配になりつつ、ほかには誰もいないトイレで密かに気合を入れた。 最上梨子デザイン事務所へ着くと、宮田さんがいつものごとく笑顔で出迎えてくれて、すぐに例のアトリエ部屋へと通された。「朝日奈さん、早かったね。そんなに早く僕に会いたかったのー?」 いきなりの先制パンチにクラクラする。いつもの冗談に突っ込む気力もない。 今日はエネルギー不足だとか、そんなことはこの人には関係ないもの。「お電話いただいたときには、もうすでに駅近くにいましたので」 淡々とそう述べると、彼は「ふぅ~ん」と生返事をしながらコーヒーメーカーへと近づいていく。 そして、ふたつのカップにコーヒーを注いで戻ってきて、例の真っ黒な高級ソファーにゆったりと腰を下ろした。「あの、早速なんですが。先ほど仰っていた、浮かんだアイデアというのは……?」 「ああ、あれね。浮かんだのはまだ漠然としたイメージだけなんだけど。朝日奈さんがどう思うか聞いておきたくてね」 「……はい」 どんなアイデアなのか、すごく気になってワクワクする。 宮田さんが奥にあるデスクへなにか取りに行って、戻ってきたと思ったらガラステーブルの上に写真を並べた。 視線を向けると、それはこの前水族館で撮った写真だった。「これ!
しゃぼん玉か。会場の演出としては、アリだと思う。「入り口の両サイドに小さな装置を置いて、静かにフワフワっとしゃぼん玉が漂う中で来賓をお出迎えするのもいいですね!」 それならば、邪魔にはならないかわいらしい演出だと思う。 私の頭の中で、すんなりとイメージが湧いてきた瞬間だった。「えぇ? 入り口付近だけ? どうせならもっと派手にいこうよ」 「派手、に?」 「うん。披露宴中に上からもドバーっと、すごい量のしゃぼん玉を落とそうよ! 来賓客が驚いて、うわぁ~って声を出しながらみんな見あげるんだ」「え……」 「サプラーイズ! って感じになるでしょ。想像すると、ワクワクするね!」 あの……私はワクワクが吹っ飛んで、頭痛がしてきましたが。「そんなことできませんよ!」 「どうして?」 「来賓の方にしゃぼん玉が大量にかかって大変なことになります! それに、テーブルの上のお料理もお飲み物もすべて台無しですよ!」 「あー、そっか、なるほど」 いい案だと思ったのに、と宮田さんは肩を落としながら口を尖らせる。 来賓客の中でも特に女性は高級な着物やドレスを身に纏っている人が多数いる。 そんな人たちのお召し物に、シミがついてしまう可能性のある大量しゃぼん玉の演出なんてできるわけがない。 髪だってそうだ。 朝から美容院できちんと綺麗にセットしてもらった髪が、しゃぼん玉の泡でぐちゃぐちゃになるかもしれない。 若い人たちは比較的サプライズを喜んでくれても、中高年の人たちからはクレームになりかねないだろう。 はぁ……この人の閃きは非凡すぎるから。 凡人である私にはついていけないだけなのかな。 というより、まずは常識的なところに気を配ってもらいたいものだ。「あ、そしたらさ!」 目の前の宮田さんが、またなにか思いついたというような顔をする。 目がキラキラしている。 なにを言い出すのかと思うと、聞く私のほうが一瞬ひるんだ。「花火はどう?」 「は、花火?!」「うん。お色直しのあと、高砂に新郎新婦が座った途端に、両サイドから、シャー!って下から吹き上げる派手な花火。そういうのもサプラーイズ!って感じで、みんなびっくりするだろうね!」 そ、そんなにサプライズがお好きですか。 ドッキリを仕掛けるのが目的じゃないんですけど!「もちろん
「宮田さんにとって、私ってなんですか?」 「え?」 「どういうポジションにいます?」 泣いても喚いても、執拗に詮索しても。 あなたにとって私がなんでもない存在ならば…… 嫉妬したって、それは滑稽でしかない。「一度抱いただけの、仕事絡みの女ですか?」 「違う!!」 弱々しい私の言葉を、彼の大きな声が否定する。「僕は恋人だと思ってるし、緋雪以外の女性に興味はない」 信じないの? と彼が切なそうな表情をする。「こんなに緋雪のことが好きで、思いきり態度にも出してると思うんだけど。僕は自分で言うのもなんだけど一途だし。なのにそこを疑われるなんて……」 不貞腐れたように口を尖らせる彼に、そっと唇を寄せる。 そう言ってくれたことが嬉しくて、気がつくと衝動的に自分からふわりとキスをしていた。 唇を離すと、驚いた顔の彼と目が合う。「良かった。本当に枕営業しちゃったのかと思いました」 「……は?」 それは、パーティの席でハンナさんに言われたことだ。 なぜか今、それを思い出して口にしてしまった。 自分でもどうしてわざわざそれを持ち出したのかと思うとおかしくて、笑いがこみ上げてくる。「あのパーティの夜、宮田さんは……午前〇時を過ぎても魔法は解けないって言ってくれましたけど。朝になったら解けちゃったのかなと……なんとなく思っていたんです」 「どうして? 僕は解けない恋の魔法を緋雪にかけたつもりなんだけどな。あ、いや、ちょっと待って。それじゃやっぱり、僕は魔法使いってことになるじゃん!」 真剣な顔をしてそう抗議する彼に、噴き出して笑う。「不安だったのは、僕のほうだよ」 「……?」 「あの夜は気持ちが通じたと思ったし、心も身体も愛し合えたと思った。だけど、もしも無かったことにされたら……って考えたら、不安だった」 「……そんな」 「僕はやっぱり魔法使いで、王子は岳なのかも…って」 ――― 知らなかった。 宮田さんがこんなふうに思っていたなんて。 二階堂さんと私のことを、こんなにも気にしていたなんて。「宮田さんは王子様兼魔法使いなんですよ」 「……何その“兼”って、一人二役的な感じは」 「それとも私たちは、シンデレラとはストーリーが違うのかも。ていうか、一人二役でなにか問題あります?」 「……ないけど」 気まぐ
手を引かれ、十二階に位置する彼の居住空間へと初めて足を踏み入れる。「お、お邪魔します。お家、ずいぶん広いですね」 おずおずと上がりこんだ部屋には大きめのリビングとダイニングキッチンがあり、話を聞くとどうやら2LDKの間取りのようだ。 まるでモデルルームのように家具やカーテンの色や風合いがマッチしていてパーフェクトな空間だった。 この前麗子さんと話していて、宮田さんはどんなところに住んでいるんだろうと、気になってはいたけれど。 それがこんなに広くてスタイリッシュな空間だったとは思いもしなかった。「ここのマンションの住人には、ルームシェアしてる人もいるみたい。僕はもちろんひとりだけど」 なるほど。ルームシェアもこの広さなら出来ると思う。 なのに贅沢にこの部屋で一人暮らしだなんて……。「緋雪、気に入ったならここに越して来る?」 「え?! 私とルームシェアですか?」 「なにをバカなこと言ってんの! 僕たちが一緒に住む場合は、“同棲”になるだろ」 肩を揺らしてケラケラと笑う彼を見て、拍子抜けしたと同時に私の緊張もほぐれた。 私がはっきりと返事をしないまま、その提案が立ち消えになったことにもホッとする。「いつも事務所じゃコーヒーだけど、今日はビールがいい?」 ソファーに座る私に、彼はそう言ってキッチンからグラスと冷えた缶ビールを持ってきた。「ありがとうございます」 「パーティのとき思ったけど、緋雪はお酒飲めるよね?」 「あ、はい。それなりには」 コツンとお互いにグラスを合わせ、注がれたビールを口に含む。 ゴクゴクと美味しそうにビールを飲み込む彼の喉仏が、やけに色っぽい。 隣に居ながらそれを見てしまうと、自動的に心拍数が上がった。「今日のことだけど。僕が、モデルの子と一緒にいた件……」 ふと会話が止まったところでその話題を口にされ、私から少し笑みが引っ込んだ。「あの子はハンナの後輩なんだけど、けっこう気の強い子でね。ハンナのこともライバル心からかすごく嫌っていて。僕は今日、巻き込まれたっていうか……あの子が、」 「もういいです」 「……え?」 「もう、それ以上聞かないでおきます」 ハンナさんへの当て付けなのか、本気なのかはわからないけれど、あの女性が宮田さんに迫ったんだろうとなんとなく直感した。「言わせて
*** 会社に戻る途中、ずっとモヤモヤした気持ちが抜けなかった。 なんだこれ。こんなんじゃ仕事にならない、とエレベーターの中でそんな自分に気づき、両頬をパンパンっと叩いて喝を入れる。 そうやって気合を入れたのに集中力は続かず、終わったときには時計は十九時半を回っていた。 そうだ、電話しなきゃ……。 ロッカールームで思い出し、宮田さんの番号を表示させて発信する。 今日のことを弁解させてほしいと言っていた彼の困惑した顔が脳裏に浮かんだ。 私だって…… あのモデルの女性と、あんなところでなにをしていたの?と、気にならなくはないけれど。 正直に聞くのが怖い。『もしもし』 数回目のコールで、落ち着いたトーンの彼の声が耳に届いた。「お疲れ様です。今、仕事が終わりました」 『お疲れ様。もう会社の前にいるから降りてきてよ』 「え……はい」 そのまま通話を切り、私はあわててロッカールームを後にした。 遅く感じるエレベーターに乗り込み、会社の外に飛び出すと、一台の車がハザードをつけて停まっていることに気づく。 助手席側のドアを背にして立つ宮田さんの姿があった。 ポケットに手を入れて佇む姿が、車を背景にしているせいか、とても様になっている。 そんなことよりも。たしかに会社に迎えに来るとは言っていたけれど……「い、いったいいつから居たんですか?!」 「はは。息が切れてるね」 それは、エレベーターを降りたあとダッシュで走って来たからです。「私のことはいいんです!」 「えーっと……着いたのは1時間くらい前、かな」 「そんな時間からここに居たんですか?!」 「うん。終わったら電話くれる約束だったし。 だからここで待ってた。とりあえず車に乗って?」 そう言って、彼が背にしていた助手席のドアを開ける。 ずいぶんと待たせたのに、不機嫌じゃないんだ……。 などと思いながら、私は促されるまま助手席に乗り込むとドアを閉められた。 宮田さんはハンドルを握り、喧騒が未だ落ち着きを取り戻さない夜の街を走り抜ける。「あの……どこ行くんですか?」 なぜか運転中無言になっている彼の横顔を見つめつつ、静かに問う。「あー、そう言えばそうだ。どこに行こうか」 「え……」 そっか。そうだった。 この人はこういう人だ。中身は変人と
最後はにっこりとした笑顔を作れた。 昔憧れていた二階堂さんに、こうして今の気持ちが言えて、それでもう十分だ。「なんか事態がよく飲み込めないんだけど……。今のって俺……軽く告白されたのに、結局フラれたって感じ」 ポカンとした顔で、二階堂さんがそんなことを言うものだから笑いそうになってしまう。「人の出逢いにはタイミングもあるんだよね。昴樹くんとは運命の出逢いだと思うから、大切にして?」 あの頃……八年前に見たのと同じ爽やかな笑顔がそこにあった。 大きな手を差し出され、握手を求められる。「本当はギュッとハグをしたいところだけど。昴樹くんに怒られるから」 じゃあね、と私の手を放して颯爽と立ち去る二階堂さんを、あの頃と同じようにやっぱりカッコいいと思いながら見送った。 残された私と宮田さんに、しばし沈黙が流れる。 この空気は、気まずさ以外の何物でもない。「あれで……良かったの?」 二階堂さんがいなくなった後、彼の口からボソリと言葉がこぼれ落ちた。「良いですよ。というか、私にあれ以上なにを言わせたいんですか」 これ以上こうして会話しても、喧嘩にしかならない気がして。 この場を立ち去ろうと歩き出した私の腕を、宮田さんがグッと掴んで自分の胸に引き寄せた。 私を抱きしめる彼の腕に力がこもる。「今日は緋雪に会えると思って楽しみだったのに……サイアク」 少し身体を離して私を見下ろす彼の瞳に、私が写る。 最悪なのはこちらも同じだ。 なにか言わなければ、と思った矢先、彼は私の唇を貪るように奪った。 しばらくキスを繰り返し、最後にチュっとリップ音を立てて彼が私からそっと離れる。「もう……行かなきゃ……」 そうだ。彼は今、仕事中だ。先ほどの場所に戻らなくてはいけない。「がんばってください。私も仕事に戻ります」 今の私からは、そんなそっけない言葉しか出てこない。 かわいくない女だと自分でも思う。「終わったら緋雪の会社まで迎えに行くよ」 「え?」 「今日、車で来てるから」 頬を撫でられ、見つめられるとなにも言えなくなってしまいそうだけれど……「でも、私も何時に終わるかわからないですし……」 「何時になっても待つから。今日のこと、いろいろ弁解させてよ」 じゃあ、終わったら電話をちょうだいなんてセリフを残し、愛しい人
「緋雪のスベスベな肌は、僕のものだから」 「へぇ……昴樹くんはもうすでに知ってるんだ? 肌がスベスベだとか、ふたりは互いに知る仲なんだね。パーティで会ったときはまだみたいだったのに」 「知ってる。緋雪は全身綺麗な肌なんだよ」 目の前で繰り広げられるふたりの会話が、なんだか生々しく聞こえて恥ずかしくなる。 私はうつむいて自分の顔が赤いのを誤魔化した。「僕の恋人にちょっかいを出すな。いくら岳でも、それだけは絶対許さないから」 宮田さんの言った“恋人”という言葉に、心が震えた。 彼はきちんとその認識でいてくれていたのだ。 私のことを、恋人だと ――――「昴樹くん、ごめん。朝日奈さんもごめんね。やり過ぎたかな?」 二階堂さんは両手を合わせながら、バツ悪そうにペコリと頭を下げる。「あれは……妬かせるためにわざとやったから。でもね、さっきのは昴樹くんも悪いよ? 恋人の朝日奈さんを放ってモデルの子とあんなとこでコソコソと」 「いや、あれは……」 「こんなに猛烈に妬くほど好きなんだったら、彼女のこと、泣かすようなことしちゃダメだろ」 ………二階堂さん。「心配しなくても、俺は明日アメリカに帰るから」 ふたりとも仲良くね、と告げつつ二階堂さんは私たちに背を向けて立ち去ろうとする。 そんな彼に、ちょっと待ってと宮田さんが声をかけて引きとめた。「緋雪……本当に言わなくていい? 岳に伝えたいなら今しかないよ?」 引き止められた二階堂さんは、なにを?といった表情で私たちを見つめていたけれど。 私には宮田さんがなにについて言っているのかすぐにわかった。 彼に、八年前の想いを伝えるなら、チャンスは今しかないと言いたいのだろう。 無言で宮田さんを見つめると、彼の漆黒の瞳の奥に、切なさが混じっていた。「二階堂さん、私……」 宮田さんに促されるままに紡ぎ始めた言葉は、そこで一旦途切れた。 彼に対してなにを伝えたいのかと、心の中であらためて自問する。 そして、出た答えが……。「八年前に、あなたを街で見ました」 「……え……?」 「モデルの二階堂さんをチャペルで見かけたのがきっかけで、あなたに憧れて私はブライダル業界に就職しました。仕事はそれなりに大変ですがとても楽しいです。そして……二階堂さんに八年ぶりにまた逢えて、懐かしかった
突然のその行動に私の心臓が跳ね上がったのを無視するように、二階堂さんは繋がれた私の両方の手を意味ありげに器用に触る。 彼にとっては、そんなことはなんでもないことなのだろう。 飄々とした表情だ。ただ、色気は漏れているけれど。「えーっと……どうしようかな。さすがにキスまでするとマジで昴樹くんにグーで殴られる気がするしねー」 「え?!」 チラチラと、私の後ろの方角……つまり宮田さんを気にしながら口にした彼のその言葉に驚いて目を丸くした。「抱きついちゃおうか。でも……それじゃ弱いかな。あ、ほっぺにキスがいいか」 本当になにを言ってるんだろうと距離が近い彼の顔を見上げると、ニタっとイタズラな笑みを浮かべている。 いったい……なにを企んでるんですか。「ちょっとだけ我慢してね」 色気を含んだ声色で耳元に唇を寄せてそう囁かれると、一瞬で全身が硬直した。 二階堂さんは間違いなくイケメンだし、しかも私が八年前に一目見ただけで憧れた人だ。緊張するのは当たり前。 自分自身にそう言い訳する暇もなく、右の頬に二階堂さんの唇の感触がした。 そのまましばし、時が止まる。 いきなりなにをするのかと声にも出せずに驚いていると、「作戦成功」と、やっと唇を離した二階堂さんにしたり顔で微笑まれた。「ふたりとも、ちょっと来て」 後ろからそう声がしたと思ったら、宮田さんが私と二階堂さんの繋がれた手を引き離し、私の手首を掴んだまま外の廊下へとずんずん歩いていく。 先ほど二階堂さんが私にした行為をしっかりと見ていたのだ。 だからこんなに彼の顔が険しいのだと、想像がついた。 二階堂さんが宮田さんをこっちに来させればいいと言った意味はこれだったんだ。 だからってなにも怒らせなくても……と思ってしまう。 宮田さんは私の手を強引に引いて、自販機のある小さな休憩スペースに誰もいないことがわかると、そこで歩みを止めた。「岳、さっきのはなに?」 今まで聞いたことのないようなイライラとした彼の声に、一瞬ビクっと肩が跳ねた。 素直に私の後ろに続いて歩いてきた二階堂さんを振り返ると、まだイタズラな笑みを浮かべている。「さっきの? うーん……朝日奈さんの手がさぁ、握ってみるとやわらかくて。サラサラでスベスベの綺麗な肌してるんだよね。だからつい頬につい……」
「そう? 昴樹くんが好きなのは朝日奈さんなのに。そんなの、誰が見たってわかるよ」 「……」 「昴樹くんさ、あのパーティでも必死だったじゃん」 そうか……考えてみたらあのパーティには、二階堂さんもいたんだ。 私の醜態をこの人にも見られてたのかと思うと、途端に恥ずかしくてたまらなくなった。「パーティでは……すみませんでした。恥ずかしいので、できればもうその件は触れないでください」 「あはは。朝日奈さんってかわいいね。昴樹くんが惚れるのもわかる気がする」 私がおどおどしたのがおかしかったのか、二階堂さんは途端に愉快そうに笑った。「あ。俺と今……目が合ったよ」 私同様、二階堂さんも宮田さんと目が合ったらしい。 だけど私はもう、後ろを振り返れない。「大丈夫。呼んでくるから待ってて」 「いえ! 本当に結構ですから!」 私の横をすり抜けて行ってしまいそうな二階堂さんの腕を必死に掴んで、それを引き止める。「どうして?」 二階堂さんは心配そうに私の顔を覗き込むと、ポツリとそう尋ねた。 ――― どうしてって…… あのモデルの女性から、彼を無理やり引き剥がして自分の元へやって来させるのも気が引ける。 私はそれでなにがしたいっていうのか。 私の恋人とイチャつかないで!と、彼女を睨みつけるの? それとも、私だけを見てと彼にすがるように纏わりつく? そんなのどっちも私らしくないし、両方やりたいとは思わない。「私ともさっき目が合ってるんです。でもすぐに気づかないフリをされました」 「へ?」 「私も特に用事があるわけではありませんので、このまま失礼します」 泣きそうな声でなんとかそう訴えてるのに、二階堂さんは再び私の腕を掴んで離そうとしてくれない。「悪いほうに考える気持ちもわかるけどさ。俺は……パーティでの昴樹くんが本物だと思うよ?」 「……ありがとうございます」 私を気遣うやさしい二階堂さんの言葉を耳にすると、余計に泣きそうになる。 だけど、こんなところで泣いちゃいけないと必死に涙をこらえた。「そうだ! 俺が呼びに行くのが嫌なら……昴樹くんのほうからこっちに来させればいい」 「え?」 「賭けてもいいよ。絶対昴樹くんは飛んで来るから」 なにを言ってるのだろうと首をかしげていると、二階堂さんは私の両手を取って身体を
きっと仕事の話をしているんだ。 なにも私がこんなことでヤキモキする必要なんてない。 そうは思うけれど、胸の奥がキリキリと痛み始める。 嫌な予感がして仕方がない。 だって仕事の話ならば、あんな薄暗いところでふたりで話す必要なんてない。 一方で、そう冷静に分析してしまう自分もいるから。 宮田さんがなにか言葉を発したと思ったら、女性の肩に右手を置いて距離を詰めた。 これ以上見てはいけないと思うのに、そこから足が動かない。 そうしてじっと見入るうちに、宮田さんが視線を何気なくこちらに向けて…… 私と、――― 目が合った。 彼はすぐに私に駆け寄って来てくれる。 そう思っていた私は、自惚れていたのだろうか。 彼は再び、なにも見なかったかのように、視線を女性に向けなおした。 その瞬間、私は踵を返してくるりと彼に背を向ける。 今のはなにか幻でも見たのだと、そう思いたかった。 だけど自分の目で確認したのだから、それが疑いようのない現実だし……。 ごちゃごちゃと整理のつかない感情が、私の心をかき乱して爆発寸前だ。 早くここから立ち去ろう。落ち着け! 人の波をよけるように歩いていたつもりだったのに、数メートル歩いたところで、目の前に人が立ちふさがって私の歩みを止めた。「あ、すみません。通してください」 その人の顔も見ずに、俯いたままそう呟く。「あれ……たしか、朝日奈さん……だよね?」 自分の名を呼ばれたことに驚いて顔を上げると、私の目の前に居た人は………二階堂さんだった。「昴樹くんに会うなら方向が逆だよ。あっちあっち」 爽やかな笑顔で私の背中の方角を指さす彼に、私は苦笑いすら返せない。「いえ……いいんです」 「ん? どうして? ……なんでそんな泣きそうな顔なのかな?」 二階堂さんにそう言われ、初めて自分が今泣きそうになってることに気がついた。 私はどうしてこんなことくらいで……。 泣きそうになるなんて、子どもじゃあるまいし。「あー……原因は、アレか」 どうやら二階堂さんも、宮田さんの姿を見つけたらしい。 心底困ったような笑顔を私に向ける。「あのモデルの子、まだ若いね」 若くて美人。このステージ裏のエリアにいるモデルの女性は、そんな容姿端麗な人ばかりだ。 だけどそんなことでさえ、
「彼女、今日もどこかにいるから。気をつけてね」 「はい。お気遣いありがとうございます。でも私、まだ仕事の途中ですのでこれで失礼します」 「え? ショーは見て行ってくれないの?」 「すみません。すごく残念なんですけど」 「でも、彼には会っていくでしょ?」 その問いかけには、「少しだけ」と、照れながらゆっくりと頷いた。「今日は彼には助けてもらって感謝してるよ。モデルのそばでアシスタントをしてもらってるんだ」 「そうなんですか」 「考えてみたら贅沢だよね。彼にアシスタントをやらせるなんて。だって彼……最上梨子だよ?」 そんなことをポロリとこぼす香西さんをよそに、周りに聞いてる人がいないかとドキドキしてしまう。「宮田さんは、香西さんを慕ってて……尊敬しているみたいですから」 「僕も彼は好きだよ。でも、そっちの気は一切ないから安心して?」 思わず例の“ゲイ疑惑”を思い出して、噴出して笑ってしまった。 本当はゲイではなく……兄と弟みたいに仲が良い関係で微笑ましい。「そういえば宮田くん、最近なにかあった?」 「え?」「今日会ったらすごく楽しそうでイキイキしてるし。彼のデザイン画を何枚か見てほしいって頼まれたんだけど……めちゃくちゃパワーアップしてたからさ」 顎をさすりながら、香西さんがうれしそうにそう言う。 だけど、私にその理由を聞かれてもわかるはずもなく、首をかしげて話の続きを待った。「前から彼の才能は認めてるというか、感服するものがあったけど。今日ほど彼の才能を素晴らしいって思ったことはなかった」 「……」 「朝日奈さんが影響してるのかな?」 「え?!」 私はなにもしていない。本当ならもっと、依頼したブライダルドレスの為になにかしてサポートしなければいけないくらいなのに。「今日確信したよ。最上梨子はもっともっとすごいデザイナーになるって」 「……」 「朝日奈さんが彼の傍にいてくれればね」 俺もウカウカしてられない、って香西さんが冗談めかして笑った。 香西さんから「宮田くんはあの辺りにいるはずだから」と教えられた方角へと足を向けた。 人がたくさん居て、ざわざわとしているエリアだ。 本来は仕事をしている人たちの邪魔になるから、あまり立ち入ってはいけない場所だと思う。 キョロキョロと視線を彷徨わせて彼の姿を探